2022年05月08日

当店、今日から39年目に入りまーす!

kitchen5が現在の西麻布にオープンしたのは、1984年5月8日です。
39年目に入りました。

しかし、この建物老朽化(昭和31年の建物)ということもあり、5年前から立ち退きは昨年の6月15日と決まっていた。
コロナ禍による緊急事態宣言が伸びていることもあり、立ち退きは今年の6月15日に延期になった。しかし具体的な条件は何も決まってない。半年ほど前に大家さんから建て替えするので、そのように動いてますと計画に変更なしとは聞いている。

立ち退きは、あと1ヶ月後というのに、大家さんからは何も言ってこない。
この建物を管理している不動産屋さんに聞くと、違う不動産屋から、この建物は売れたというつまり、オーナーチェンジ。
しかし、地主(ここは借地権)さんと大家さんが揉めていて、現在裁判中らしい。

「ええ!ひょっとしたら、うちの店ここで40周年迎えるってことになるかもぅ?」と、管理している不動産屋さんに言うと、「そうかもだなぁ…。大家もあんなに騒いで、どうなってるんだろ。何も説明がない…」と。しかも建物は売れている。と言っても地主が承諾していないので、手付けを払っているだけかも。

ま、様子見るしかないかぁ。

38年前、自分で書いたチラシをコピーして西麻布交差点で「ランチやりまーす」と、多分、50枚か100枚くらい配った。(従姉妹と母と3人で)
初日に、店の前に長い行列ができていてびっくり!
ランチは初年の一年しかやらなかった。ランチは作業であって料理では無いし、夜の営業も忙しくなってきたからだ。
バブル前だった。
店はバブル崩壊するまで、上り調子。不安になったことなど一度もなかった。

最初の2年くらいは、バイトちゃんたちにニンニクと玉ねぎの皮むきだけ手伝ってもらった。しかし、それも違うなと。「経営者になりたいわけじゃない。好きな料理を作って生きていきたいだけだ」そのことに拘っていた。ニンニクと玉ねぎの皮むきさえ自分でやらねばと思ったからだ。
スタッフは、私が料理を作っているところを見たことがない。
よく、「魚のさばき方教えてください」と言うので、「じゃあ、やるから見てな」と言って、見せているのに、「えー!今、振り返ったら終わってるぅ!ユー子さん!魔法使ったぁ?!」と、言われた。
料理を5,6種類くらい同時進行して作っていた。
今は、そうはいかない。
それでも早い方だと思う。今は、日曜、月曜、木曜は休みだが、休もでも仕込みをしている。私に休みは無い。

この先何年もこの量と種類の料理を作り続けてはいけない。それでも、1人で作ると言うことにブレないでいるだろう。
休みを増やすか、1日15人までを10人までとか5人までにすればいい事だ。あくまで、自分の料理を作る。

40周年は見えてきたが、さて、何年やるのだろう。
同業者から「何年やる?」と聞かれる。
私は、「え!?死ぬまでだよ」と、応える。

posted by Yuko at 18:24| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月18日

ジューベッチ

30年前、その時はユーゴスラビア社会主義連邦共和国だった。
ユーゴの1ヶ月近い長い旅から戻って、半年も経たないうちに紛争が起き、その後6つの国に別れた。

当時のユーゴの首都はベオグラードだった。
そのベオグラードの市場は、野菜の種類が恐ろしく少なく、ほとんどが、パプリカだった記憶がある。

数年前にクロアチアを訪れた時は、ヨーロッパの市場と変わらないくらい食材が豊かだった。

当時(30年前)のベオグラードの広いスクエアにあったレストランのテラスで、ジューベッチをいただいた。
ジューベッチとは、キャセロールの意味で、トルコではギュベッチと言い、周辺の国に似たような名前と料理がある。その殆どは、ラムの煮込み料理だが、宗教的な違いもあって、ここではというより、この店ではだったのかもしれないが、豚肉だった。
パプリカをたくさん使ったトマト煮だった。

私は、旅をすると、必ず市場を毎朝覗く。その真ん中に立って、
(私は今、ユーゴスラビア人。ただ、隣のイタリアにも行ったことがあるし、フランスにも行ったことがある、トルコも。さて、この食材を使って、私なら、ジューベッチをどう作ろう)

宗教も考えて、よその国の食材は使わない。あくまで、今見てる市場での食材を使って。ゲームのようにルールを作って、それをテーマに、頭の中で料理を作っていく。スパイスも、工程も頭の中で作り上げて日本に帰って作るのだ。

いつもそんな旅の仕方をするから、旅は一人旅がいい。そして、頭の中が忙しいのだ。

先週から作っているジューベッチは、この時に頭の中で作っていったものだ。今週前半で売り切れたので、また、作ることにする。

30年前のユーゴスラビアは、歩いている人が殆ど老人が多く、若者が少なかった。隣国に出稼ぎに行ってるのだろう。

そして、皆んな、とっても親切だった。道を尋ねると、手を取らんばかりにその場所まで連れて行ってくれる。

そして、社会主義国だからだろうか。学校は午前と午後の担任が違うのだ。
担任は2人いる。その2人の評価で生徒の成績も性格も見てくれる。これはとっても感動して、このことを書いて、校長をしていた叔父に絵葉書を出した。

叔父もとっても感動していたっけ。
posted by Yuko at 18:01| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月10日

ワンオペ

緊急事態宣言中も解除になってからも、売り上げ的にはさほど変わっていない気がする。
店の形態が、カウンターに料理が並んでる事もあり、テイクアウトしやすいからかも。

ワンオペ営業にも慣れたが、12月からは、バイトしてもらおうと思っている。それでもうちのバイトたちは、他にも仕事を持っているので、みんな忙しそうだ。
週一回しか出れないよとか、今までのようには手伝ってくれないかも。

このバイト達に助けられていたんだなぁと、つくづく思う。
私の苦手な事をかなりフォローしてもらっていたのだ。

「どうして皆んなができる事を、私はできないんだろう」と、嘆くと。
「いいんだよ。ユーコさんはそれで。私たちができないことができてるんだから」と、バイトのMちゃんに慰められた。

コロナ禍で、皆んなが少なからずメンタルが傷ついてるのかな。トラウマもある。
自分のメンタルと胃を守るためだ。リスクは覚悟する。
posted by Yuko at 18:09| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする