2018年04月01日

父の命日

今日は、桜が満開の日に56歳で亡くなった父の命日だ。
母は父に会えたのだろうか。

両親は私に自由をくれた。
私が一番望んでいるのが自由だということを理解してくれた。
私は、それで充分。遺産を放棄する事にした。

それは、店を始めたいと母に言った日だ。
母の土地を担保に銀行から資金を借りた日に決めたのだった。
自己資金50万しか持ってないくせに若さとはスゴイと、今更に思う。

私の夢を信じてポンと貸してくれた母の気持ちが私への大きな遺産。(弟にどんな気に入らない嫁が来ようと、遺産を放棄する)と、固く誓った34年前。
その気持ちは揺らぐことがなく、今もいるし、その手続きを始めた。

父は、私を自分の元に置きたかったのだろう。
敷地内に、10代から茶道と華道を習っていた私の為に、茶室付きの家を建てたのだから。
それでも、私を自由にしてくれた。

父が亡くなって49日の日。
私が南フランス料理を修行する店を紹介してくれる人にばったり会った。

父が亡くなって100カ日の日。
そのフランス料理店の面接に行き、仕事が決まった。

母方は料理旅館をやっていたので、私は、日本料理を小さい頃から作らされていた。そのままだったら、日本料理を作っていたと思う。

世の中にこんなお美味しいものがあるのかと思うくらい、その店の料理の数々に感動した。この料理を学べるのなら何でも耐えられると思った。

その父の不思議な導きのお陰で、私は、本格的に料理の道に入った。


多分一生、調理場に立つだろう。
そして、私のテーマであるスパイスロードを歩き続けるだろう。

そして、陶芸も一生続けて、絵を描き続ける。

厨房と工房さえあれば、強く楽しく生きていける。
posted by Yuko at 18:00| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月22日

日本料理「花楽」

先週木曜に美人豊乳豊食姉妹と花楽に来て、また、今週も。

3月のメニューは大好きだということと、母が亡くなって、グンと外食が少なくなってるのに気づいて、近所のK子ちゃんを誘って急遽予約した。

34年前のこの3月に、kitchen5のこの場所の契約をした。

父が56歳で亡くなってすぐ、亡くなった父の不思議な力によって導かれて、私は九段下のフランス料理屋に修行に入った。

2年3ヶ月の修行の後、自己資金僅か50万円しか持っていない私が、生き馬の目を抜く東京の、しかも西麻布という地に店を出せたのは、過酷な戦争をくぐり抜けて来た母の度胸のおかげだ。

「店を出したいから、担保を貸して欲しい」という私に、
「思い切ってやりなさい」と言って、母の土地を担保に銀行から借りてくれたのだった。

心配する銀行員に、「親が子供を信用しないで、誰が信用するんですか」と啖呵を切って、すすめてくれたと聞いたのは、私が、全ての借金を払い終えた頃だった。

銀行の支払いが始まった34年前から、年最低2回は母と旅行しようと決めて、母の誕生日の11月25日付近は店を休んだ。
5月の連休中と、新年も母と過ごした。

父との思い出が少ない分、母とは思い出をいっぱい作ろうと思った。

いつも思う。
戦争が青春で、それからは、子供の事ばかりで、自分を犠牲にして、なんて、損な世代なのだろうと。

「とく山」の料理が大好きだった。兼定も中国飯店も好きだったなぁ。

この店ができた頃は、食が細くなっていたから連れて来たことがなかった。残してもいいから連れて来てあげればよかった。また、ウジウジと後悔してしまう。

料理は先週と同じ。

@おから そら豆
A春菜尽くし(おかかを土に見立てて、筍、コゴミ、土筆、菜の花、蕾菜、うるい、ユリ根、蕗、たらの芽、蕨の10種 海老の出汁のジュレ
B湯葉豆腐の椀物 下に長芋、胡麻豆腐の湯葉包み
Cお造り 桜鱒の炭火炙り 塩チリ酢(大根、ネギ、林檎、白醤油)
D煮蛤鮨とさわらのヅケ桜の葉巻き鮨 林檎と大根と生姜のガリ3種
E宮内菜と牡蠣のオカキ揚げ 牛蒡とマツモと言う海藻の細切揚げ
F5種類の柑橘でいただく豚しゃぶ(ポンカン、酢橘、八朔、デコポン、ブンタン)
野芹とネギ入り
Gタタキ牛蒡(白胡麻は柚子風味、黒胡麻は山椒風味)
H白魚の卵寄せ丼 赤出汁、香の物
I金柑のソルベ 桜の上用蒸し

今週は、Fの鍋を、メヌケと言う、北海道産の金目鯛に似た魚の煮物に変えていただいた。
K子ちゃんは肉が食べられないのだ。

やっぱり3月のメニューは、最高に好きだ。
4月も楽しみ!
The
posted by Yuko at 23:00| 食歩:日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

9日(金)は臨時休業いたします。理由は…

3月7日(火)朝、母が93歳3ヶ月の生涯を終えました。
穏やかに老衰です。
拍手です。

今朝、珍しく包丁が滑って、指を切りました。
瞬間、(あ!母の合図だ!)と思って、打ち消して。
6時半から仕込みを始めて、後で思い返して、ちょうど、母が亡くなった時間でした。
知らせを受ける数十分前に、白いマーガレットの鉢植えを2つ買ったのも、偶然かなぁ。

その瞬間に傍にいてあげられなかった。金曜も店を休んで、母とお別れしてこよう。

先月、すでに話ができなくなっていた母が、「ありがとう」と、三回言って、夢うつつに戻っていった。私も応えて、これがお別れになるのかもと、覚悟はできていた。

遠く離れているのだから、いつも傍に居てあげられないのだから、私に出来ることをやろうと決めて、店を始めた34年前から、毎年3回。少ないときは2回。母と2泊3泊程度だけど旅をした。

外国は嫌がって、一度しか行かれなかったけど、日本中の温泉地を行った。

私が好きな料理屋も連れて行って、リクエストに応えて食べ歩いた。それでいいのだとも思えないけど、出来ることは悔いないようしたのだ。

父が56歳と言う若さで亡くなり、物凄く悔いが残ったから。

母の実家は料理旅館をやっていたこともあり、お客さん好きな母だった。
私の友達も、私が居なくても遊びに来て居たし、ご飯を食べて行ったり、泊まって行ったりして居た。

敷地内に家をもう一軒建築中の時は、岐阜県の下呂から、宮大工さんや大工さんたちが泊まり込んでの仕事だった。

毎日宴会で、毎日ご馳走で、父の酒量も増えたけど、楽しい期間だった。
「こんなに楽しい仕事は初めてでした」と、大工さんたちが。
仕事が完成して数年たっても、遊びに来たり、結婚の挨拶に来たりしていた。

毎日一人で10人分の料理を3食作らなければならないのに、母は、楽しそうだった。あれは、3週間くらいだっただろうか。1ヶ月以上だっただろうか。

毎晩食事の後はトランプして遊んだ。楽しかったなぁ。三ちゃんたち元気かなぁ。

以前にも書いたけど…。
家の裏が用水の川で、その工事に東北から出稼ぎの職人さんたちが工事に来ていた。
ある日、学校から帰って来ると、母が…。
「ねぇ、職人さん達のお弁当冷たいし、おかずが少ないみたい。お味噌汁持って行ったら、喜ぶかしら?」と私に言う。
「喜ぶんじゃない?!」と私。
「あなたが持って行ってくれる?!」
(なんだ!出来てるんかい!)と、ツッコミを入れず、素直にお盆に味噌汁椀を持っていった。
「おじさん!お味噌汁どうですか!」
めちゃめちゃ喜んでくれた。

数日後、早目に家に帰ったら、縁側で、職人さん達が母の作ったオカズも味噌汁も並べてお弁当を食べていた。

なんか、嬉しかったなぁ。

私が子供の頃の母は、お洒落で、素敵だった。
テーラードでスリットのタイトスカートにボウタイの白いブラウスにピンヒール。ベレー帽かぶって、私の手を引いた写真が好きだった。

Aラインのスカートのワンピース姿も素敵だった。

この時代の人は、青春が戦争で、一番輝く年齢の時は、モンペ姿だったんだ。
この時代の人のおかげで、日本の今の平和がある。発展があるといつも思う。

心根が深く、優しく。情が厚い。

ああ、この人達から産まれたんだ!
有難うね〜。



posted by Yuko at 18:46| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする