2004年08月22日
オルビエト、ローマ
最後の仕入れをたんまりして、ローマへ。
ローマのいつものスペイン広場近くのホテルに行くと、ミラノの弓ちゃんから予約が入っていた。
弓ちゃんは3ヶ月前から、ミラノに住んでいる。今は、イタリア語の学校に通っている。確か、学校を2日早く切り上げて、私と合流することになった。嬉しい。
とにかく、今日は仕入れに走る。
15日を過ぎると、ほとんどのレストランが夏休みになる。夜は、トラステーベレに行けば、レストランは開いているのだ。
Piazza San Cosimatoにある、Ristorante Corsetti に行く。ここのスパゲッティボンゴレがとっても美味いのだ。
翌日はテルミニ駅から弓ちゃんとORVIETO に行く。
ここにある、HOTEL PALAZZO PICCOLOMINI は何度も泊まっている。まだ新しく、やっと、設備が完全になったところだ。イタリアは、ホテルが出来て、営業が始まっても、3年位して、やっと完璧になる。
ここでも、私の予定を知ってる弓ちゃんもこのホテルに予約していた。同じ部屋にしてくださいと言うと、マトリモーニョ(ダブルの部屋)の部屋しかないと言う。それではと、マトリモーニョを2部屋で、一人分料金にしてくれた。なんと、50ユーロだ。内緒ねっ!と、ウインクされたけど、書いちゃったぁ。
午後、4、5年前の夏休み期間を利用して、ただ働きしていたレストラン、「La Volpe e L'uva」に顔を出した。シェフのマリアジーナは少し太ったみたいだ。ここで働いていた時、仕事が終わって夕涼みしながら、いつも何人かの近所の人たちと話しをしていた。
その中の一人で、マリアジーナと一番仲がよく、家も店の隣にあった。そのロゼッタのお墓参りに行くことにした。ここに来た一番の目的だ。ロゼッタは63歳だった。お風呂場で転んで、心臓が弱かったこともあり、急逝したのだった。
お墓はオルビエトの町から降りて、車で10分くらいの小高い丘の上だ。はるか、オルビエトの町の全体が見える。美しい・・・。
お花を買って、お墓を掃除して、ロゼッタと話す。その近くに、本当に近くに、マリアジーナのご両親のお墓がある。「ピアチェーレ ミキアーモユーコ」と、挨拶していたら、マリアジーナが笑ってるぅ。
ロゼッタのご主人は元オリンピックの水泳選手だ。なんと、1ヵ月後にパートナーが出来て、今は、サルディーニアにいるという。あらら・・・。
夕食は、弓ちゃんと「La Volpe e L'uva」に行った。ここのブルスケッタは日本で知られている、トマトをのせたものだけじゃない。豆を潰したもの。トリッフとアーモンドを混ぜたもの。兎のパテや豚の耳などのゼリー寄せだったりする。ウンブリアの料理だ。
この地方独特の、太いうどんのようなパスタ、ソーセージを葡萄とカラメルで煮込んだものも食べる。久しぶりで美味しい。弓ちゃんも満足そうだ。デザート代わりに、ペコリーノチーズと洋梨を蜂蜜とともに食べる。
翌日は木曜。朝市がある日。5ドルでパンツを買った。安い!マリアジーナにも出会った。またまた、大きな陶器のお土産をいただいた。どうやってもっていこうか・・・。
ローマに戻り、弓ちゃんの友人でイタリア大使館に勤めるマルコの家に泊まる。バチカン近くの素敵な家だ。夜は、マルコの出身地の南イタリア人が経営する店に行った。シーフードが中心だ。パスタのTonnarelli が美味しいけど、すごい量だ。
その翌日からの2泊は、ローマ郊外にある私の友人の家に行った。
見渡す限りの私有地。深さ3m20cmのダイビングできるプールつきの家に2人で住んでいる。ワインやオリーブオイルは自家製だ。町はGenzano と言うところのある。プールでひと泳ぎして、お昼寝する。夜はジェンツァーノにあるワイン倉で食事が出来る広場がある。そこで、ワインと名物のポークの丸焼きや生ハム、チーズなどで夕食だ。
翌日は、近所の人を呼んでのパーティーだ。11人といっても、イタリア人なので量は日本人のパーティーの1.5倍くらいか。ピンチョをテーブルいっぱい作ることにした。たぶん100個以上は作った。
友人のここの主婦のかずえさんが、散らし寿司とヒコいわしのマリネとシーフードのサラダを作った。
今回の旅は3週間くらいだったが、あちこちで友人と合流したので、一人で動いたのはたったの1週間だけだった。今度はもう少しスペインの奥まで、たとえば、ガリシア地方、内陸と旅行したい。料理ももっと知らないものがあるかもしれないしねっ。
ローマのいつものスペイン広場近くのホテルに行くと、ミラノの弓ちゃんから予約が入っていた。
弓ちゃんは3ヶ月前から、ミラノに住んでいる。今は、イタリア語の学校に通っている。確か、学校を2日早く切り上げて、私と合流することになった。嬉しい。
とにかく、今日は仕入れに走る。
15日を過ぎると、ほとんどのレストランが夏休みになる。夜は、トラステーベレに行けば、レストランは開いているのだ。
Piazza San Cosimatoにある、Ristorante Corsetti に行く。ここのスパゲッティボンゴレがとっても美味いのだ。
翌日はテルミニ駅から弓ちゃんとORVIETO に行く。
ここにある、HOTEL PALAZZO PICCOLOMINI は何度も泊まっている。まだ新しく、やっと、設備が完全になったところだ。イタリアは、ホテルが出来て、営業が始まっても、3年位して、やっと完璧になる。
ここでも、私の予定を知ってる弓ちゃんもこのホテルに予約していた。同じ部屋にしてくださいと言うと、マトリモーニョ(ダブルの部屋)の部屋しかないと言う。それではと、マトリモーニョを2部屋で、一人分料金にしてくれた。なんと、50ユーロだ。内緒ねっ!と、ウインクされたけど、書いちゃったぁ。
午後、4、5年前の夏休み期間を利用して、ただ働きしていたレストラン、「La Volpe e L'uva」に顔を出した。シェフのマリアジーナは少し太ったみたいだ。ここで働いていた時、仕事が終わって夕涼みしながら、いつも何人かの近所の人たちと話しをしていた。
その中の一人で、マリアジーナと一番仲がよく、家も店の隣にあった。そのロゼッタのお墓参りに行くことにした。ここに来た一番の目的だ。ロゼッタは63歳だった。お風呂場で転んで、心臓が弱かったこともあり、急逝したのだった。
お墓はオルビエトの町から降りて、車で10分くらいの小高い丘の上だ。はるか、オルビエトの町の全体が見える。美しい・・・。
お花を買って、お墓を掃除して、ロゼッタと話す。その近くに、本当に近くに、マリアジーナのご両親のお墓がある。「ピアチェーレ ミキアーモユーコ」と、挨拶していたら、マリアジーナが笑ってるぅ。
ロゼッタのご主人は元オリンピックの水泳選手だ。なんと、1ヵ月後にパートナーが出来て、今は、サルディーニアにいるという。あらら・・・。
夕食は、弓ちゃんと「La Volpe e L'uva」に行った。ここのブルスケッタは日本で知られている、トマトをのせたものだけじゃない。豆を潰したもの。トリッフとアーモンドを混ぜたもの。兎のパテや豚の耳などのゼリー寄せだったりする。ウンブリアの料理だ。
この地方独特の、太いうどんのようなパスタ、ソーセージを葡萄とカラメルで煮込んだものも食べる。久しぶりで美味しい。弓ちゃんも満足そうだ。デザート代わりに、ペコリーノチーズと洋梨を蜂蜜とともに食べる。
翌日は木曜。朝市がある日。5ドルでパンツを買った。安い!マリアジーナにも出会った。またまた、大きな陶器のお土産をいただいた。どうやってもっていこうか・・・。
ローマに戻り、弓ちゃんの友人でイタリア大使館に勤めるマルコの家に泊まる。バチカン近くの素敵な家だ。夜は、マルコの出身地の南イタリア人が経営する店に行った。シーフードが中心だ。パスタのTonnarelli が美味しいけど、すごい量だ。
その翌日からの2泊は、ローマ郊外にある私の友人の家に行った。
見渡す限りの私有地。深さ3m20cmのダイビングできるプールつきの家に2人で住んでいる。ワインやオリーブオイルは自家製だ。町はGenzano と言うところのある。プールでひと泳ぎして、お昼寝する。夜はジェンツァーノにあるワイン倉で食事が出来る広場がある。そこで、ワインと名物のポークの丸焼きや生ハム、チーズなどで夕食だ。
翌日は、近所の人を呼んでのパーティーだ。11人といっても、イタリア人なので量は日本人のパーティーの1.5倍くらいか。ピンチョをテーブルいっぱい作ることにした。たぶん100個以上は作った。
友人のここの主婦のかずえさんが、散らし寿司とヒコいわしのマリネとシーフードのサラダを作った。
今回の旅は3週間くらいだったが、あちこちで友人と合流したので、一人で動いたのはたったの1週間だけだった。今度はもう少しスペインの奥まで、たとえば、ガリシア地方、内陸と旅行したい。料理ももっと知らないものがあるかもしれないしねっ。
ラベル:マリアジーナ