2000年01月22日

マンジャ! マンジャ! Mangia, Mangia ! (その1)

大好物らしい、白インゲン豆の料理を食べにやってくるイタリアのサンマリノ領事が、私を指さし予言者のように言う。

 「貴女はシシリーだ。貴女はシシリーに行きなさい」と。

 ぴったり頭皮に沿って6・4に分けた髪型に、私の目は釘付けになりながら、「またかぁ」と思う。

 いつしか「シシリーかぁ、いいなぁ」が「シシリーに行かねば」と思うようになった。

 料理人になる前に勤めていた広告代理店の同僚から、「南仏料理のすごくうまい店があるんだ。でもオーナーシェフが変わり者でコックが三ヶ月以上続いたことがない。どうだ頑張ってみるか」と問われ、一生の仕事を探していた私は躊躇なくその話に飛びついた。そして、二年三ヶ月の"過酷な修業"から独立して今年ではや15年目。

 西麻布にある、私の小さなレストランは、夏に五週間、冬に四週間の休みになる。その間私は、料理の旅に南ヨーロッパを中心に、スパイスロードを旅している。

 その夏の休暇が一ヶ月後にせまったある日、四人連れのお客様がテーブルについた。その中のひとりは、シシリー人だという。

 「私、この夏シシリーのトラパニという町に行くんだ」というと、シシリー人・エリオは「僕、トラパニ出身だよ」という。すごい! 「クスクス食べに行くんだ」と、私。

 「僕のマンマのクスクスは最高にうまい」
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 「貴方の家に遊びに行きたい !」
 「いいよ」
 「貴方、いつトラパニに戻っているの」
 「僕は日本にいる」
 「貴方が日本にいるのに、私が貴方の家に行くわけにいかないでしょ」
 「イタリア人はドアを開けて待ってる」

 おおっ ! なんて魅力的な言葉だ !

 私が修業した九段下にあったフランス料理店の倉庫には、今から十数年前に、すでにクスクスが山のようにあった。何度もシェフに、クスクスを作ろうとせがんだのに、二年三ヶ月いたこの店で、とうとう一度も作らなかった。
 以来、数回のアラブの旅は、クスクスを食べに行くことが多かった。

 そんな時、本で、イタリアではシシリーのトラパニという町にのみクスクスがあると書いてあった。八、九世紀にアラブの影響を受けたクスクスが、魚料理となり、この町にのみ根付いたということだった。
 チュニジアから、水中翼船で、わずか四時間で着く漁港の町だ。
 ここに、マッタンツァという、追い込み漁法で知られた、ファビニャーナという島がある。ここで獲れたマグロは輸出の100%が日本向けである。
 そして、この島の美術館に、日本で最初の女流洋画家、ラグーザ玉さんの絵が保存されている。

 ローマから夜行列車に乗って、私ひとりの旅が始まった。パレルモからローカル線(単線)に乗り換え、約二時間で西端の町、トラパニに到着。
 このローカル線は実にのんびりしてて、ひと駅の停車時間が恐ろしく長い。
 外に出て、車掌さんが花を摘んでくれた。器用に笛のように鳴らして、遊んでくれる。アーモンドがたっぷり入った焼き菓子やら、オレンジやら、食べて食べて(マンジャ マンジャ)と差し出してくれる。シシリーはいたる所に、アーモンドの木がある。

 荒涼とした土地が続く。
 外は暑く、土地はその暑さに負け、雑草さえ焼けたように白い。

 トラパニの駅に到着して、車掌さん達が、職員食堂に連れて行ってくれた。イタリアは、この職員食堂さえおいしい。私がコックだというと、カポナータという、ナスの料理を作るところを見ていけと言ってくれた。
 このカポナータは、シシリー料理としては有名だが、古くからある料理ではなく、19世紀になり、ヨーロッパからの影響を受け、形を変えて、シシリー料理の代表のひとつになったものだ。
 まず、米ナスは角切りにし、塩水につけ、よーく絞る。オリーブ油で揚げておく。ピーマンはカラフルな色の物を使い、色を失わない程度にかるく揚げる。セロリはゆでたものを揚げておく。玉ねぎを荒切りにしたものを、にんにく少々とオリーブ油でかるく炒め、トマトピューレ(本来はエストラッドディポモドーロを使う)大さじ二杯を加え、アンチョビ一本を潰しながら少々の水を加え、そこに揚げたナス、ピーマン、セロリを加え、グリーンオリーブをたたいたもの、ケッパー、レーズンを加える。塩少々、こしょう、砂糖大さじ一杯、赤ワインビネガーは仕上げに多めに振りかける。瓶に詰めて、オリーヴ油で蓋をすれば保存食にもなる。イタリア版ラタトゥユだ。

 エリオの家族の家に電話すると、姉のアウティーリアが電話に出た。英語が分かるのでほっとした。駅まで、アウティーリアの夫が迎えに来てくれた。夏の家に行こうと言う。エリオから、私がくることを聞いているかと尋ねると、聞いていないという。まったく、ラテン系はこれだからなぁ。

 左に、青と緑のグラデーションに輝く海、右に、砂漠のようなゆるやかな丘が続く。

 イタリア語って、喧嘩しているみたいに聞こえるなぁ、と思ってると、アウティーリアが後部座席の私に振り返って、端然と微笑み「ちょっと待っててネ」と言う。ジョバンニと連れだって、車から降りると、道路の真ん中で口喧嘩が始まった。身振り、手振りが激しいので、まるで取っ組み合いをしてるかのようだ。
 そして、その脇を車が彼らをよけながら、平和そうに走り去る。フロントガラスの向こうはまるでイタリア映画のワンシーンだ。  
posted by Yuko at 00:00| ESSAY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする