2019年04月24日

35年前からの常連さんの事

このゴールデンウイークが明けたら、当店35歳になる。36年目に入るわけだ。
この季節、店を出した頃のことをよく思い出す。
そんな気持ちに拍車をかけるように、今日いらしたお客さんの1人は、有名なスタイリストのIさん。

35年前、店をオープンして数日した時だった。
5月だったか、6月だったか。店のドアを開け放しておいた。

両手をパンツのポケットに突っ込んだまま、前屈みで、ポ〜んと軽い足取りで飛ぶよう入ってきた若い男性がいた。

カウンターの前に座り、料理を注文する。食べ終えたそばから、追加する、追加する。
この細い体のどこに入るのか、次々と注文しては平らげる。その食べっぷりに目が釘付けになった。

その男性は、Mさんと私は呼んでいた演劇プロデューサーの方だった。昨夜いらしたIさんは当時Mさんの恋人で、現在はご夫婦になられている。

それからも、頻繁に食べに来られて、暫くして、Iさんと2人でいらっしゃることが多かった。
ある日、「料理はどう言うサイクルで変わるんですか?」の問いに、
「毎日変わります」と応えた。

今(今は2列で、さらに、上に何品か重ねている)とは違って、一列しか並んでなかったから、毎日のように売り切れになるからだ。

次の週から、1週間毎日2人で来店。当時は月曜も木曜もやっていたから、6日間通ったことになる。最後の土曜日に、
「マイッタ!」と、笑って、帰られた。

私だって、翌週まで続いたら、すべての料理を毎日変えられたかどうかだけど。

後に、お二人の職業も打ち明けられ、Mさんがプロデュースするミュージカルに招待された。
K
その時、桃の赤ワイン煮を大きなパックに入れて楽屋に届けた。
「隆三さん(亡 林隆三さん)がねぇ、桃の赤ワインのスープを冷蔵庫に入れて、毎日、炭酸で割って、大事に飲んでいたよ」と、嬉しいお話をされたっけ。

そのMさんが、15年、20年くらい前だったか、パタリといらっしゃらなくなった。

それから数年後に、タクシーの中から、一瞬だったが、確かに、IさんがMさんを支えながら、横断歩道をゆっくりゆっくり歩かれていた。

ご病気だったんだ…。

当時のことだから、ネットもない。会社の連絡先はしてっても、個人的な電話番号も知らなかった。

さらに数年して、Iさんが1人でいらして、その時話を聞いたのだが、お客様もいらしたので、なんの病気かも聞くことができなかった。その後も、詳しい話をほとんど聞いていない。

今日、Mさんが写真集を出したと言う。
「ほぼ日」インタビュー記事の情報を頂いて、詳しい事情もわかった。
写真展は、4月の初めに終わってしまったが、なんと、私の家から歩いて2分もかからない場所だった。

南青山での展覧会以外、パリでも行われて、その様子は、YouTubeで見ることができた。

Iさんは、忙しくて連絡しようと思ったけど、できなかったと何度も言ってらいしたけど、そうだろうなぁと。

Mさんは、難病のパーキンソン病だった。

天職であったろう劇場プロデュースの仕事からも遠ざかって、現状を受け入れるのにどんなに辛かっただろう。

そして、いつも笑顔のIさん。細くて小柄な、35年前と変わらない不思議な方だ。小さくても、心が広い、大きな人だなと、眩しいくらいステキだ。

「Mさんは?」と、いつも恐る恐る尋ねる私に、にっこり笑って、
「生きてるよ!」と言う。
posted by Yuko at 23:29| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする