2018年04月01日

青山ブルーノート「夏木マリさんライヴ」

父の命日の今日、夏木マリさんのブルーノートでのライヴだ。

今日は陶芸教室にも行って、歩いて3分くらいのブルーノートに行く。

マリさんはため息が出るくらいカッコいい!
歌は上手いし、声はどこまでも余裕で出るし。

お尻近くまで開いてるピッタリしたドレスを着こなしてる。

アンコールの「summer time🎶」なんて、もう、シビレル!
進化が止まらない人だ。

みんな、「今度はカヴァーだけのライヴをやってほしい。ユーコさん!マリさんにいってください!」て、言われた。
私も切に願う。
多分、あちこちで言われているはず。それでもやらないには、訳があるに違いない。
でも、チャンスがあったら、言ってみるかなぁー。

そう言えば…。
マリさんのお父様は、昭和55年に55歳で亡くなっていると記憶している。
私の父も同じ年に56歳で亡くなっているという事は、同じ年か、一歳違い。

お母様は、90歳過ぎて亡くなった。確か2年くらい前じゃないかな。
何だか、よく似てる。
posted by Yuko at 23:00| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

父の命日

今日は、桜が満開の日に56歳で亡くなった父の命日だ。
母は父に会えたのだろうか。

両親は私に自由をくれた。
私が一番望んでいるのが自由だということを理解してくれた。
私は、それで充分。遺産を放棄する事にした。

それは、店を始めたいと母に言った日だ。
母の土地を担保に銀行から資金を借りた日に決めたのだった。
自己資金50万しか持ってないくせに若さとはスゴイと、今更に思う。

私の夢を信じてポンと貸してくれた母の気持ちが私への大きな遺産。(弟にどんな気に入らない嫁が来ようと、遺産を放棄する)と、固く誓った34年前。
その気持ちは揺らぐことがなく、今もいるし、その手続きを始めた。

父は、私を自分の元に置きたかったのだろう。
敷地内に、10代から茶道と華道を習っていた私の為に、茶室付きの家を建てたのだから。
それでも、私を自由にしてくれた。

父が亡くなって49日の日。
私が南フランス料理を修行する店を紹介してくれる人にばったり会った。

父が亡くなって100カ日の日。
そのフランス料理店の面接に行き、仕事が決まった。

母方は料理旅館をやっていたので、私は、日本料理を小さい頃から作らされていた。そのままだったら、日本料理を作っていたと思う。

世の中にこんなお美味しいものがあるのかと思うくらい、その店の料理の数々に感動した。この料理を学べるのなら何でも耐えられると思った。

その父の不思議な導きのお陰で、私は、本格的に料理の道に入った。


多分一生、調理場に立つだろう。
そして、私のテーマであるスパイスロードを歩き続けるだろう。

そして、陶芸も一生続けて、絵を描き続ける。

厨房と工房さえあれば、強く楽しく生きていける。
posted by Yuko at 18:00| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする