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2012年12月05日

中村勘三郎さんの事

早朝のラジオのニュースで・・・勘三郎さんが亡くなったと。
57歳・・・何とも早すぎるじゃないか。
生きた年数ではなく、どう生きてきたかとよく言うが、それにしてもだ。

古いお客さんだった。
まだ、勘九郎さんと七之助さんが小学生の時からのお客さまだった。

私がチュニジアから買ってきた、ラクダの陶器をお子さんたちに差し上げようとしたことがある。

ラクダの形の陶器は一つだけ。

背中から水を入れて、振りかけてもそこからは水は出ない。口から水がでるという、仕掛けのある陶器だった。

「お父ちゃまもこれ欲しい!欲しい!」と、子供のように言い出し、
「じゃあ、じゃんけんしよう!」

3人でじゃんけんしていた。
それはそれは、ふざけているようでもなく、真剣にじゃんけんしている。目線も心も子供と同じだった。

奥様の方を見ると、止めるでもなく、いつものことらしく、ただ成り行きを穏やかな眼差しで見つめていた。

「お父ちゃまが勝ったぁあ!」と言って、シャツの中に隠してしまった。
後で、あげるからねと言うのかと思ったら、そうでもなく・・・。
無邪気だった。

いろいろなお客様を連れてきていただいた。それはそれは華やかだった。

昔は私にも歌舞伎仲間がいて、よく歌舞伎座にも行った。その仲間が40代で亡くなってから、とんと行かなくなった。

大阪歌舞伎にも同行したことがあった。夜は、行きつけのBARで大勢集まって、みんな踊り出すわ、歌うわだった。

そういえば、先日亡くなった、桑名正博さんも踊っていた一人だ。
一人づつ、私にもお友達を紹介していただき、楽しいひとときだった。

しかし、その紹介のとき・・・。
「この人の店はね。いつ開いてるかわからないんだよ。行ってみないとやってるかどうかわからないんだよ。お金が貯まると、外国に行っちゃうんだっ」

「いやいや、それは正確じゃないですよー。一応決まってるんです。休みは、8月は休む。そして、クリスマスが終わって4週間休みだけだよぅ」と、いつも訂正しても・・・いつも無駄に終わる。

先代のお父様が亡くなってしばらくしたある日のこと。
「お祖父ちゃまがね、蝶(蠅だったかも)になって来たんだよぅ。『おじいちゃまだ!これはおじいちゃまだっ』って、みんなにもわかったんだ。おじいちゃまだって」と当時小さなお子さまと言っていたことがあった。

勘三郎さんは何の化身になって、舞台を舞うのだろう。

エネルギーの固まりのような方だった。
華やかで、情熱的で。
忘れることなどできない強烈な風だった。

合掌