2024年03月24日

お知らせです。

≪お知らせ≫
1984年3月にここ西麻布にKitchen5の物件契約をして、丁度40年。
3月23日(土)をもって、一旦閉店します。

この建物の老朽化で建て替えするようです。
立ち退きを言われて7年くらい経つのですが、何も進まず、大家がなかなか決心しなくて。
待てないしで、出ることにしました。
メチャメチャタイミング良く、次の物件が見つかったので移転する事にしました。

移転先は、広尾駅から歩いて2分。商店街入り口の広尾湯の裏になります。
5月に解体し、リフォームが始まります。

オープンは多分、12月になるかなと。
次の店は、少しコンセプトを変えるので、店名は「Kitchen5Bis」
週休4日。営業は木曜、金曜、土曜日です。
陶芸の工房も、併設します。

Kitchen5のコンセプトは、「料理は1人で作る」でした。
誰の手も借りず、料理は1人で作る。最初の1年だけはランチ営業もしたので、夜の営業中にランチの仕込み。玉ねぎの皮むきとニンニクの皮剥きだけバイトに手伝ってもらっていたが、それも1年で終わって、それからは全て作業も1人での仕込みの日々でした。

料理を作りたいから店を出した。その事にこだわった。
店を出すのが夢ではなかった。料理を作って生きていたい。その為には店を出さないと生きていけないから店を出した。
コロナ禍迄は、夏に5週間、冬に4週間長期休暇を取り、スパイスロードをテーマに海外食材仕入れと食べ歩きの旅に出てました。後半は、色々な国レストラン、オーベルジュ、料理研究家の元にタダ働きに出てました。それは、料理人としての私の財産になっています。

40年やりきったから、この店に何の未練もないし、店に思い入れもない。

最後の数年は1日も料理をしない日は無かった。ずーっと仕込みの日々。週1日でいいから休みたい。なので、今度の店は週休4日にします。私の料理は煮込み料理が中心だから時間がかかる。営業日プラス2日、3日はかかるのです。

筋トレも欠かさないので、腰を痛めても1日で回復する。しかし、ここにきて、親指の腱鞘炎が酷い。今年に入って、夜遅くになると激痛に襲われる。誤魔化し誤魔化しやってきたけど、やっと治療に通うことができる。

広尾の店の開店までに体調も整えて、必ず元気にオープンします。
posted by Yuko at 15:28| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月18日

今日の出来事

最近は休日でもなかなか外食する時間がない。休日でも仕込みを夜までしているし、普段3時間半の睡眠時間だから、なるべく休日はたくさん眠る事にしているからだ。それでも、なんとか時間を作って食事に行く。

店を予約する時、3人以上の場合は特に5分前到着を目指す。店側に安心させるためだが…。
今日も、うちの店から歩いて5分の店を予約していた。

10分前に店から出て鰻屋さんの角を曲がった辺りで白杖の初老の方とすれ違った。
歩を緩め、アンテナを張って、いつでも手伝えるようにと。少しくらい遅くなってもいいし。
白杖の方が、突然踵を返し、私と同じ方向に歩きだした。
「すいません!」と、大きな声。
「はい!」と、大きな声で返して、どうしましたか!?と、問うと。

「高塚ビルはどこですか?」と。
丁度、高塚ビルの前だ。
「連れて行っていただけますか。それと、エレベーターで5階を押してほしいんですが」
「はい。ここが階段です」
一緒に階段を上がって、奥のエレベーターまで案内し、5階を押した。
5階は料理屋さんのようだ。

しばらく考えてしまった。
鰻屋さんの隣が高塚ビル。その隣がラーメン屋さんで、ラーメン屋さんの真向いがバス停だ。
あの方は、そのバスから降りたのだろうか。何歩で高塚ビルという記憶の仕方をしていたのだろうか。果たしてバスから降りたのかもわからないが…。

鰻屋さんの匂いを強く感じて行き過ぎたとわかって、目標が曖昧になったのかも。歩数を間違えて行き過ぎたと思って踵を返したが、歩数を一歩間違えたと思ったのかも。
帰りは目的の店の方がいらっしゃるので安心だが…。

五体満足で生きてる事の有難さはもちろん思ったが、感性の鋭さとか、記憶の仕方とか、匂いの鋭さとか、いろいろ考え込んでしまった。
posted by Yuko at 23:11| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月05日

プレオープンの日

39年前の今日、5月5日にこの店はプレオープンした。
プレオープンといっても、上京して6年目に店を出したのだ。
東京には1人も知り合いがいない。店をやると決めて、フレンチレストランに修行に入る前も仕事を2つ掛け持ちしていたのだから、それほど友人がいるはずもなく、少ない友人たち、母や従姉妹と今は看板になっているパエリア鍋を使って、パエリアを作って、みんなで食べただけだ。

翌日から手作りのチラシを作って、母と従姉妹に手伝ってもらい、西麻布交差点で、行き交う人に、「ランチやります」といって、配っただけから始まった。

オープンしたのは、8日だったと思う。7日だったかもしれない。こんなに長くやるつもりはなかったので、オープンの日を記憶することなんて考えてもいなかった。

初日から、オープン前には行列ができてて、めちゃめちゃ驚いた。それからずーっと、ランチは完売の日が続いたが、夜も忙しくなったし、ランチは作業であって料理じゃない。クリエイティブじゃないなぁと感じて、一年で終えた。

当時、長期の休みを取る店なんて考えられない時代。5月にオープンしたばかりなのに、8月はほとんど休んで、海外に仕入れと食の旅に出かけていた。

投資は自分の体にしよう。知識は盗まれない。お金が貯まると夏は5週間。冬は4週間休んで(しばらくは5月も2週間)海外に行っていた。

(潰れた)と、噂が流れたらしく、道で常連さんに会うと、目を逸らされた。
「こんにちわ」と挨拶すると。
「あぁ、いま、どうされているんですか?」と問われた。
「えー!店やってますよ。夏休みしてました」と答えると。
「えーーー!長すぎませんかぁあ!」
ネットもどころか、携帯もない時代だしね。窓に大きな紙に(フランスに仕入れに行ってきます!)と書いても、読まれず、店を閉めますと思い込まれたようだ。

旅は年2回から3回行っていた。50歳になった時、(海外で働きたかったなぁ)と。(そうだ!いま、働きに行けばいいではないか)と気がつき、レストランに手紙を書いたりして、いろいろな国のレストラン、オーベルジュ、料理研究家の家とかで働きに行っていた。

ま、そんなこんなで…コロナ禍でここ3年は海外に行くこともなかったが…。

来週から40年目に入る。
やりきったなぁと思う。
店をやりたくて店を出したのじゃない。
料理を作って生きていきたいと思った。それじゃあ生きていけないから店を出しただけ。
その事にブレないでいたい。
だから、ニンニクの皮むき、玉ねぎの皮むきも1人でやることに拘った。39年間1人で料理を作り続けた事に満足している。
40年目に足が一歩入った。
やりきったなあと思う。
posted by Yuko at 22:59| 日記:西麻布事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする